2009年05月号(通算64号)掲載インタビュー
EGNISH
http://egnish.com/
[MEMBER] L to R
Gu&Vo:SHIGE
Ba&Vo:KAZUFUMI
Dr&Cho:ABE
Gu&Cho:MASA-PULL
[PROFILE]
2002年春、KAZUFUMI、SHIGE、ABEの3人によって仙台にて結成。 2005年3月、MASA-PULL(Gu&Cho)が加入、現在の4人編成となる。2006年7月、1st Mini Album「Set Us Be Free」をリリース、全国ツアーでおおきな話題となる。'07年 3月には、KEN YOKOYAMA仙台公演で共演など、勢いが加速する中、 2nd Mini Album「CUBE OF THE RAINBOW」をドロップし、オリコンインディーズチャートにも数週間ランクインする。そして2007年10月1st Full Album「Life is beautiful」を発売!その後2008年はGLORY HILLを筆頭にジャンルに関係なく、 様々なアーティストのツアーサポートをこなし、積み重ねた経験から制作された今作「tomorrow」を09年5月13日に発売!!
-継続すること。バンドは続けた分だけでっかくなって、続けた分だけ結果がついてくるものだから、本当に音楽が好きなら続けていって欲しいです-
■今回はEGNISHのMASA-PULLくんに来て頂きました。よろしくお願いします。
MASA-PULL(以下M) 宜しくお願いします。
■今までの活動などを振り返っていくと、まず2002年仙台で結成、2005年3月に現在の4人編成に。 MASA-PULLくんは途中加入ですが結成のいきさつは分かりますか?
M 僕もメンバーから聞いた話ですが、元々はKAZUFUMIとSHIGEがゆずとか19のコピーで路上ライブをやっていて、ABEはB-DASHとかをコピーしてたらしいです。そこでお互い知り合いで組んだ感じですね。
■冒頭から爆弾発言ですね(笑)当時のEGNISHの印象はどうでしたか?
M 僕は元々は千葉でバンドをやっていて、EGNISHが初めてツアーを回った時に渋谷で対バンしたんです。そこで初めて聴いたら曲がものすごく良くてファンになって、仲良くなりました。それをきっかけにバンドで仙台にもよく行くようになって、お互い企画などで呼び合ってよく一緒にライブしてました。前のバンドの解散ライブもEGNISHに出てもらったり昔から仲は良かったですね。
■じゃあ付き合いは結成当時から続いてるんですね。
M 前のバンドが解散したときに、自分にはバンドしかないと感じてはいたんですけど、当時EGNISHのメンバーも3人での限界を感じていたみたいで。ギターを増やしたいけど俺じゃなきゃ入れない、みたいな話をしてたらしいです。
■でも単純に考えて、千葉から仙台に移ってまでEGNISHを選んだってことは相当好きだったんですね。
M まぁかなり好きでしたね(笑)その頃はちょうど仕事もしてなくて、免許取るために実家に戻ってて。当時ドラクエ8が流行ってて教習の時間以外ずっとやってたんですけど、KAZUFUMIもドラクエやりこんでて毎日電話でアイテムの話とかをしてたらいつの間にかEGNISHに入ってました(笑)
■ドラクエトークをしながら誘われたんですね(笑)
M そんな感じです。当時はバンドのために県外に引っ越すとかあんまり聞かなかったけど、今は周りにもstack44のボーカルとかBIGMAMAのヴァイオリンも同じように県外のバンドに加入してるしね。
■思い切りましたね。2005年に仙台に引っ越してきて、仙台の印象はどうでしたか?
M その頃は仙台でめちゃめちゃライブしてたんだけど、正直難しい土地だと思いました。
■やはりオーディエンスの反応の違いはありましたか?
M その違いはどこの土地に行ってもあったんですけど、関東や東京にバンドをしに来てる人達と、仙台でバンドをしてる人達とではモチベーションの違いだったりバンドをやるにあたっての意気込みの違いの面で結構ギャップを感じましたね。だからこそそういう部分を変えていきたいとも思いました。関東のバンドが当たり前にやってることを仙台でできれば頭一つ抜け出せると思っていましたから、徐々にできるようになって今の位置に来れたんだと思います。
■関東のバンドマンにあって仙台のバンドマンにないものって具体的になんでしょう?
M 「必死さ」とかかな。やっぱり自分の生活を守りながらバンドしてるっていうか。自分の中の円グラフのうち、どのくらいがバンドなんだろう、ってところが絶対的に違いましたね。モチベーション的な面でも、学校を卒業するとか就職するとか、転機で辞めてしまう人が多いです。バンドしに東京行く人とは「やってやるぜ」って気持ちがまず違うね。
■なるほど、身に染みますね。MASA-PULLくんはCUE BASEをよく読んでくれているらしいですね。
M 毎月読んでますよ、色んなところに置いてあるし。
■このフリーペーパーは高校生の読者が多いんですが、MASA-PULLくんが高校生だったときってどんな高校生でしたか?
M 俺が高校生のころは他に夢があって、こんなにバンド中心の生活を送るようになるなんて考えもしなかったね。
■当時の夢ってなんだったんですか?
M それは…Jリーガーです!
■それもそれですごい大きい夢ですね。
M 俺は夢見がちな人間だから、好きになったことをとことん突きつめたいみたいなところがあって、まぁサッカー部は3ヶ月くらいで辞めたんですけどね。サッカー部を辞めた理由がギターを始めたからで。
■じゃあ高校生のころからバンドはやってたんですね。
M バンドはやってたんですけど、本当に田舎で音楽の情報が全く無かったんですよね。当時は確かTSUTAYAも無かったし。俺は中学のころ先輩にGREENDAYを教えてもらってメロディック系の音楽を聴くようになったんですけど、本当に情報がなくて、日本にそういうバンドがいることも知らなかった。でも車で30分ぐらいのところにあるデパートの中にインディー専門のCDショップがあって、高校1年生の途中ごろから毎週通ってメロディックパンクやパンクと呼ばれる音楽が好きになった時期ですね。今はタワレコ行けばどんな音楽でも聴けるもんね。
■仙台は恵まれてると思いますよね。
M でも逆にそのせいで気づけないメンタル的な部分もあるだろうね。田舎のバンドはハングリー精神が違うと感じることが多いです。金銭的にも、俺らだって裕福じゃないのに機材とかいっぱい買っちゃうけど、例えば2年間お金を貯めて2年後に買うのとローン組んで早い段階に買うかだと、今買えば2年も早く弾けるんだよ!?(笑) 苦しくてもバンドに対して使うお金は痛くないんだよね。 そこが踏み出せるか踏み出せないかの違いは大きいね。
■ギターはバリバリ練習してたんですか?
M 昔は流行ってる音楽しか知らなくて、GLAYとかLUNA SEAとかを聴いてたけど、ソロが弾けなかったからコピーはしなかった。GREEN DAYとかハイスタはやってたね。やっぱりメロディック系は他と比べると弾きやすいからね。当時は自分の好きなバンドのスコアとか全然無かったから、昔から耳コピせざるを得なかったっていうか。
■環境が上手く結びついていったんですね。その当時はバンドブームでしたがメンバーはすんなり見つかったんですか?
M 全然見つからなかったですね。だから俺がベースやったりドラムやったりしてました。高校って3年間っていう期間があるじゃないですか。その期間の中で「メンバーが見つからない」って理由でバンドできないのがすごく嫌で。それならベースでもドラムでもいいからバンドがやりたかった。やるかやらないか迷ってるなら絶対やったほうがいいですよ。
■今でも色々悩みとかはあると思うんですけど、上手くいかなかった時期とかもあったんですか?
M めちゃくちゃありましたよ。解散の危機とかメンバー脱退の危機もあったしね。でもそういう問題を乗り越えられたからこそ状況もよくなって意識も高まったかな。運良くそこで終わらなかったから今の自分たちがあると思いますしね。俺も悩みはたくさんあるし、悩みの無い人はいないと思うよ。
■そのとおりですね。2008年はジャンルに関わらず色々なバンドのツアーサポートをこなしてましたが、そのころからCDのリリースも決まって自分たちの音源が全国流通することになって、当時はどんな気持ちでしたか?
M 初めてCDを出した時は「俺もELLEGARDENの仲間入りかぁ」と思いましたよ(笑)
■この頃からもう仙台よりも県外でのライブのほうが多かったですよね。
M そうですね。やっぱりライブしすぎると自分らが安くなっちゃうっていうか。いつでも見れるって思われちゃいけないと思うんだよね。確かにライブすれば自分たちの経験にもなるし、対バンがあれば繋がりも増えるわけだから、プラスが10か100かっていう違いはあるだろうけどマイナスのライブっていうのはないと思うんだよね。でも俺らはそういう時期は過ぎたかなって思う。高校生とかだったらがむしゃらにライブすることも大事な事だと思いますよ。
■今年はいよいよ荒吐ロックフェスティバル に出演ということで、地元の大きなフェスに出るっていうのも1つの夢だったんじゃ ないですか?
M でも地元だから出れたってところもあると思うし、全部が全部自分らの実力かと言ったらきっとそうではないと思う。もちろん荒吐に出れるのはすごく嬉しいけど、そこが最終的なところじゃないから、実力で色んなところから呼ばれるようになりたいですね。
■応援してます。5月13日にはいよいよ3rdミニアルバム「tomorrow」が発売されるということですが、このアルバムにはどんな気持ちが込められていますか?
M 俺たちはけっこう曲が先にできることが多くて、KAZUFUMIもSHIGEも俺も曲作るから曲ができるペースも早いほうだと思うんですけど、15、6曲ぐらいある中から6曲選んで、みんなで盛り上がれて、なおかつ聴いている人を元気付けられる応援歌のようなものにしたいっていうコンセプトで作ったのでそれぞれ曲を書いた人が歌詞をつけていきました。
■EGNISHはライブを意識してる感じはすごく伝わってきますね。 普段メロディックパンクを聴かない人でもEGNISH見たら「うぉー!」ってなりますよ。
M それが俺らの目指すところでもあるからね。結構ジャンルで括られがちだけど、俺らはそういう意識はしてなくて、大きく言えば音楽、ROCK、って括りで、もし今までの曲と全く違うような曲ができても自分らの音楽に変わりはないし、自分らのやりたいことに変わりはないし、メロディックパンクを聴く人達に曲を提示したいわけじゃないから、J-POPが好きな人でもハードコアが好きな人でも何かしらいいなって思えてもらえるようなことをしないと大きくなれないと思いますね。
■今後の夢とか展望はありますか?
M 今まではあんまりTAKE UP SEEDとの直接的な関わりって無かったけど、下の世代から引っ張っていくような姿勢とかすごいなぁと思うし、今日とかも早く着いたから駐車場でTAKE UP SEEDのホームページとかたっけさんのブログとか見てたんだけど、他の都道府県でこういうのないと思うし、そういうところで俺らもTAKE UP SEEDと協力してやっていきたいと思いますね。俺は仙台から盛り上げるっていうか全国的に周りから攻めていこうと思ってたんですけど、最近はもっと仙台を盛り上げたいって気持ちになりましたね。
■ありがとうございます。最後に若いバンドマンや読者へのメッセージを一言。
M 継続すること。バンドとかは続けた分だけでっかくなって、続けた分だけ結果がついてくるものだから、本当に音楽やっていきたいと思うなら続けたほうがいいと思います。プレーヤー的な面で言うと毎日楽器に触ることが上達の近道だと思うので頑張ってください。
■これからも仙台を代表するバンドとして活躍を期待してますので頑張ってください!
M ありがとうございます!
(インタビュー:のだたん)
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- 2009/05/01(金) 00:00:01|
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